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濫觴・一樹
徒然なるままに…
濫觴通信
2007年1月
54号
発行:市橋一樹
「濫觴通信」とは、濫觴・一樹が思いつくままに綴るエッセイです。
濫觴オープン当初からDMと共に不定期でお送りしているもので、実は密かなファンがいるとかいないとか…。
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「文字戯び、
ことば戯び塾」

2005.10.2
【補足解説】
 濫觴・一樹は2000年よりリウマチを患っております。さあこれからだという時に思いもよらぬ病気に襲われ、思うように身体が動かない不自由さとの闘いの日々を送っています。
 現在は執筆などしつつ徐々に出来ることを模索中。
 気長にお付き合い頂ければ幸いです。
【濫觴通信2007年1月54号】

「あけましておめでとうございます」

 今年の干支は丁亥(ひのとのい)で、亥はご存知の通り猪のことである。
 は邪気を祓う儀礼において生贄にされた、呪能をもつ獣の象形文字である。
 干支は殷の時代(BC1400年頃)に、牛の肩胛骨や亀の甲羅を焼いて、そのひび割れで占った結果を、それに刻んで記録した甲骨文(漢字の始まり)に表われている、極めて古い文化である。
 しかし今日使われている十二支に獣をあてるのは、漢の時代以後の知識で、十二支の文字の字義と獣との関係は明らかではない。
 白川静著「字統」「字通」より
 十二支の最後に登場するのが亥(い)であるが、最初の子(ね)にかえる循環の意が含まれている。
 亥の字義と多産系の猪と関連があるように思われるのは偶然か。そして、子丑寅卯辰……戌亥子丑寅……亥子と繰り返し、末長く続くことを願う子孫繁栄的な思いがこめられたものとも考えられる。
 終則始(終われば則(すなわ)ち始まる)の言葉があるように、亥は最後と思わず始めとして、初心を思い起こして、心豊かに一年を過ごせることを願うものです。

■亥の甲骨文

■亥の金文



「病に学ぶ」

 リウマチが発症してから七年となる。当初は神出鬼没のゲリラ的痛みに振り回わされた。
 何んとか療法が良いとか、中国温灸が良いとかいわれて試してみたり、何んとかいう薬が良いといわれて「俺はモルモットか」といいたいほど色々の薬を飲んだが、いずれも効果はなかった。漢方の処方も長く続けたが、その効果も期待はずれで止めてしまった。
 痛みに共い体力も筋力も劣え、それも腕力と握力がとみに劣えてきた。缶コーヒーのプルトップが開けられない。飴玉のビニールが破れないから、孫がそれをしてくれる。びろうなことだが用便の後の始末をするとき、全力を使わないと手が届かない。将来人の手を貸りて始末してもらうかもしれないと不安がよぎる。そのときは恥かしいより屈辱感にさいなまれるのではないかと想像してしまう。
 そして当り前のことを当り前にできることの健康を感謝することの大切さを痛感したものである。
 体力、筋力の劣えは病だから仕方のないことと諦めていたが、好奇心はまるっきり無くなってしまい、絵を見ても、焼物を見ても感じる心がなくなった。花を眺めてもその美しさは頭でわかっていても心に感じなくなってしまった。以前に出来ていたことが、筋力の劣えなどで出来なくなった辛さよりも「好奇心を失い、美しいものに反応しなくなった」ことが一番辛いことである。まさに人生最大の挫折感を味わったのである。
 嫌だ! いやだといっても発症したからにはリウマチと共存しなければならないのだ。
 このままでは駄目だ。
 何んとかしなくては。
 とりあえず軟骨が無くなって痛くて仕方のない膝を人工関節に取換える手術を受けることにした。そしてベッドの上で考えた。気力が充実していれば病気にはならないはずであると言ってはいたが、原因のはっきりわかっていないリウマチを患ってみて、気だけではない、病むときに病むものだということを、病気は身体だけではなく、心や感性をも蝕ばむものだと実感したのである。
 幸いにも手術は成功し、術後の膝に想像していた違和感もなく、痛みはまったく感じられなくなり医術のすばらしさに感心させられた。痛みの一つが解消されたことで、その分だけ気持が楽になる。
 これからも続くであろう当り前のことが出来ないことと、痛みで辛く思うストレスを緩和させることは無理にしても、せめて現状維持する方法はないかと模索した。
 四週間毎の診察のときにする血液検査で、リウマチの目安であるCRPの値の変化を記録したグラフを、医師のパソコンに見て突然ひらめた。
 そうだこれなんだ。
 痛い辛いという目には見えない形のないものを、数値に表わして視覚化すれば、自分自身の感情を客観的に見ることができるかもしれない。その効果に期待してもよいだろうと直感したのだ。
 痛みの最高を10として、毎日の痛みを数値にし少しの分を添え、日記風に記録しはじめた。
 初めはどういう効果が現われるか漠然としていたが、痛みを目に見える数値に変えるという行為によって、辛さが少し和らいできたような気がしないでもなかった。記録しはじめる以前は、痛みが強い時も弱い時も同じように辛いと思いながら過ごしていた。
 数週間を過ぎたころ、昨日は8だった痛みが今日は4ではないかと、その差を数値で見せられたとき、痛いことは辛いことだと思っていたことは錯覚であることに気が付いた。痛みが半分ということは辛さが半分あるのではなく、半分辛さが減ったことだと理解してから、辛さが減るという楽しみが、痛みの中にあることを知ったのは大発見であった。
 それからリウマチと穏やかに付き合えるようになったのだ。
 昨年の十月、ミホミュージアムの企画展「青山二郎の眼」で、李朝の白磁丸壺「白袴」に、言葉で表わせれない強烈な感動を得た。と同時に、感動する感性が心に蘇えったことに喜んだのである。

2007年1月



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