【濫觴通信2002年8月 40号】
「殿と姫と爺 その後」
殿は5月に満五歳の誕生日を迎え。身長109センチ、体重16.8キロで痩形である。
姫は二歳と六ヶ月になり、身長88.5センチ、体重12.2キロで保育園の桃組さんである。
保育園に通い始めは、母上と離れて過ごす始めて体験で、先生に抱かれながら「おかあさん・おかあさん!」
と泣いていた。
今は、カバンと水筒をたすきにかけて、殿と一緒に元気にでかけています。
ホームランを打った選手がするように両掌をパンパン叩き合う。拳骨をコツコツぶつけあう。ジャンケンのチョキでチョキチョキで切り合う。人差し指をたててチョンチョンつつき合う。
このパンパン・コツコツ・チョキチョキ・チョンチョンは「行ってらっしゃい」「おやすみなさい」の儀式である。
保育園では何をするの?
「あのね〜、おやつを食べて、え〜と。給食たべて、ねんねしてね。帰ってくるの」といい嬉しさにあふれている。そして、姫は何でも好き嫌いなくなんでも食べる。
殿は、ピーマンを食べた! 納豆も食べたと報告するが、保育園の先生の前だからできたことで、家では食べられないのである。
母上に食べられたらデザートをあげると言われて、ピーマンをろくに噛まずに目を白黒させて飲み込んでしまうのだ。だから保育園でもきっと飲み込んでいるに違いない。
姫と比べたら殿の食は細いのだが、パワーは凄い。突進してきたら構えていないと倒されてしまう。
爺の部屋は、ウルトラマンと怪獣の闘いの場だ。
布団の中に隠れた怪獣。地球防衛隊(殿は大きくなったら隊員になるのだといっている)のテックサンダーの攻撃だ!
「ピピピ!」「ガガガー」ジーンジーン、ブーーンブーーン。
ウルトラマンコスモスだ。
カオスヘッダーをやっつける!
バシッ、バシッ。 エイ! ヤー!
今度はハリケンジャーだ。
ゆきと(殿)はハリケンレッド。
なお(姫)はハリケンイエロー。
おじいちゃんはハリケンブルー・
「さあ! いくぞ!!」
ベッドから布団を引きずり下ろしてジャンプする。
二人が調子に乗ってしまったら簡単には止められない。そのけたたましさは大変なもので、洗濯機の中に頭を突っ込んだようなすざましさである。
腰掛けている背中に殿! 前か姫が襲ってくる。
マイッタ!!!
早く寝てくれ!
殿と姫の体力・気力は日毎日毎に成長する。爺はよくて現状維持、あとは衰えるだけで孫達の力に対応できるのも何時までかおぼつかないものだ。
殿は平仮名を書けないが読めるようになった。
車に乗っていて電柱広告の「ひち」を読んで。
「ひち」て何?
お金が要るようになって、仕方なくテレビやアクセサリーを持って行くと、お金を貸してくれる所。
「テレビを持っていったら、見れなくなっちゃうじゃん!」
ウーーーーン。
「おばあちゃんやおじいちゃんみたいに歳をとると、なんで髪が白くなるの?」
ウン? 歳をとると髪を黒くしているエネルギーが少なくなってくるから。
フーーーン。
「なんで青が進めで、赤がとまれなの?」
ウーーーーーン
「アメリカもみんな日本語だといいね!」
マイッタ!
「今日は手は痛くない? 一緒にお風呂に入ろうよ」
うれしいね!
「おばあちゃん大好き」「いおじいちゃん大好き」と姫が抱きついてくる。
か・わ・いい・・・・!!!!
2002年(H14)6月20日
「眠りの量」
還暦まではリハーサルである。
還暦が人生本番の幕開けである。
と、手ぐすねをひいていた矢先のリウマチの激痛である。
痛みは意欲まで消してしまうのか。内から湧き出るものがない。
あれもしよう、これもしようと思っていたことが消えてしまった。
筆を持つ気もないが、何かをしないとこのままではしおれてしまう。
心配だ。
書きたい文字や言葉がないけれど、書いていれば何かが生まれてくるのではないのかという期待をもって体調のよいときに書いてみた。
集中して書くことができたのは三十分ばかり。
調子がでないまま、気持ちが萎えてしまって横になる。
横になったら眠ってしまった。
横になればいつでも寝られるのは、今まで出来ていたことが出来なくなった自分の体の不自由さに落胆している心を癒すために、自然と身体が対処するのであろう。
午前8時過ぎに起きて。朝風呂に入る。
午前10時、安楽椅子に腰掛けて、ウトウトと1時間。
午後はどうにも眠くなって昼寝。三時間も寝てしまう。
夜は、10時には寝てしまう。
その間、夢を見ているだろうが記憶にない。
とにかくよく寝られるのだ。リウマチでなく眠り病になったのかもしれない。
自分にもわからない。不思議なことである。
高校卒業後、家業(看板屋)の仕事をしながらデザインの勉強をする。
何をどう勉強したらいいのか分からないまま、自分なりに考えた手探りの勉強である。
地方都市でもデザインに対する関心が高まってき、観光ポスターのコンテストとか、○○デザインコンテストなどの賞金がついた募集が多くあった。
昼間は看板の仕事をして、夜から明け方に空が白々するまで、作品作りをしながらの勉強であった。
賞金(小遣い)稼ぎという魅力もあって、作品作りのために月のうち二・三日は徹夜となったから、一日の睡眠時間は平均して四時間程度であった。
それはデザイナーになろうとしたとくべつな意識はなかった。ただ、大学に進学した者に負けてなるものかという強い思いがそうさせた。
全国賞もとり、デザイナーの登竜門ともいわれた日宣美展にも入選して気持ちに決着がついて、家業に専念することにした二十三歳までのことである。
三十代、四十代は仕事、仕事に明け暮れた。
有り余るほどに仕事があった上、仕事が面白くて面白くて仕方がなかったから、早くて十二時、二時・三時まで仕事に熱中して、睡眠時間など少しも考えていなかった。
眠りは八時間はしなければいけないなどと誰が言ったのか。
身体に聞けばいいのだ。六時間しか寝ていなから睡眠不足だと思う計算をするからいけない。気持ちが充実していれば時間を気にして仕事を中断することはない。「体が眠りを必要として要求したら眠ればいいのだ」と豪語していた。
また、眠ってしまえば何も出来ないから、眠るのは勿体ないことだとも思っていた。
かみさんは言う
「一生のうちの睡眠時間はどれだけと決められていて、今、寝られるのは、若い頃の不足分を取り返しているのだ」と。
う〜む。そうかもしれない。
今の私が横になれば寝られてしまえるのは、若い頃の睡眠不足を補うための帳尻合わせのために、時間の神様が調整しているのか。
少なく見積もっても、一日平均三時間として約十五年分は不足している。
冗談じゃない。これからの人生は睡眠の為なのか。
じたばたしても仕方がない。帳尻合わせができなければ、永久の眠りという精算方法があるのだ。
リウマチをなだめすかしながら、ボチボチやって行こう!
2002年(H14)7月19日