濫觴・一樹
徒然なるままに…
濫觴通信
2004年1月
44号
発行:市橋一樹
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【濫觴通信2004年1月44号】

「あけましておめでとうございます」

申 十二支の申(猿)です。
 は、秦の始皇帝が文字を統一する以前の金文の申です。
 今年のエトはサルと言われますが、エトは十干十二支のことで甲申となります。
 古代中国の殷の時代では、太陽は地中に十個あり、それが毎日ひとつずつ交替で、天上に現われては没し、十回で一巡すると考えられていたらしい。
 十個の太陽には、一つずつ名がつけられて日甲(にちこう)・日乙(にちおつ)・日丙(にちへい)・日丁(にちてい)・日戊(にちぼ)・日己(にちき)・日庚(にちこう)・日辛(にちしん)・日壬(にちじん)・日癸(にちき)と呼ばれていた。今日干支と呼んでいるのがこれである。
 十二支になぜ動物があてられたのか解らない。シン・もうすと使われている申が、十二支に限ってサルと呼ばれるのも同じように解らない。
 子(ネ)丑(ウシ)午(ウマ)酉(トリ)戌(イヌ)も十二支以外には使われません。
 次の「子子子、子子子」を何んと読むかというと「ネコのコ、コネコ」と読み、平安朝の嵯峨天皇だったかが、小野篁だったかに、子の字を十二文字並べて、何んと読むかと問い「子子ノ子子子子子子ノ子子子子(ねこのここねこししのここじし)」と読んだという例外的な話もある。
 解っていない事も、曖昧なことも、申(サル)と同じように、世の中に定着していることが多い。
一時期、ファジー・ファジーと騒がれた言葉も消えてしまった。テレビはデジタル放送となり、0(ゼロ)と1(イチ)で処理されるデジタル全盛時代となった今だからこそ、0(ゼロ)と1(イチ)の間にある曖昧さを大切にしなければならないと思います。
 今後いくらコンピュータが進歩したとしても、絵画・音楽・文学や陶芸などの味わいは数値化することは出来ないでしょう。
 この曖昧なファジーの世界の中に人としての豊かさ、優しさ、潤い、癒しなどの心の美しさがあることを忘れてはならないのです。
 白川静著「字統」には、申は象形文字。電光が斜めに屈折して走る形で、神威の現われるところ。申が多義化して神が作られるので申は神の初文。とあります。
 申の甲骨文に が、金文にはなどがある。
 申をサルと呼ぶようになったのは、電光が斜めに走る形だとはいえ、の形が「猿を横から見た姿に似ている」からであると、濫觴はこじつけた。この説を馬鹿馬鹿しくもあり、我田引水的もいいところだと、笑いとばして初笑いの種にでもしてください。

平成十六年新春


【紙上十二支展】