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「六中観」 死後の世界は良い所にちがいない。何故なら「帰ってきた人がいないではないか」という話を読んだことがある。 東海道膝栗毛を書いて、66歳で死んだ十返舎一九は「此世をばどりゃおいとまに線香とともについには灰左様なら」と辞世にいい、死後、焼場で棺桶を焼いたら、彼のいたずらで花火が飛び出したという伝説が生じた。 玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)著「アミターバ 無量光明」で、僧慈雲の義母の最後の三カ月、死の瞬間とその後が描かれている。 急に暗闇に吸い込まれた。どんどん上昇し、上昇するにつれてスピードも速まるようだったが、どのくらいの距離を移動したのかも、それがどのくらいの時間だったのかも判らない。ただ印象としては瞬間で、まるでポンプで吸い上げられるような圧力を感じ、すこし苦しかった。しかし気がつくとほどなく細い通路のような暗闇が終わり、深海から浮び上がったような解放感と眩しさに包まれていた。 私自身が発光しているらしいのだが、それはこれまで見たことのない輝きで、光と呼んでいいのかどうかも判らない。と死の瞬間が書かれている。 自分の体のことを考えたら、下の方にベッドに横たわった私が見えた。鎖骨のところに点滴の管、股間からは尿管がベッドの下に伸び、むろん胆汁の排出管も二本脇腹から出ている。ほかに胃袋まで通った管が鼻から出ており、その上から酸素吸入マスクが被せられている。可哀そう、というより滑稽にさえ見える自分の体を、私は、冷静に見おろしていた。とは死んだ直後のこと。 あらゆる管が抜き取られた遺体を囲む人たちや、葬儀の一部始終を眺め、発光している自分が、彼らに見えないことを不思議がっている。そして女学生の頃の自分が紗(うすぎぬ)を纏った天女になって、熱くもなくむしろ涼しさを感じる秋の夕空のような、巨大で不思議な光の中心に進んで行った。と死後の様子を書いて終えている。 突然の爆発などで、死の瞬間すら意識することもなく逝ってしまった人は、自分が死んだとは思ってもみないであろう。死ぬという意識がなかったのだから。腕がとばされ血まみれの自分が、救急車で搬送される様子を見ながら、半信半疑のままに、不思議な光に吸収されてしまうのだ。 日本人の平均寿命が発表され、女性は八五・三三歳で世界一である。男性は七八・三六歳で世界三位とあった。 百歳まで生きようとしたとて、それはまれなことで、不老不死などありえないことである。 生きている自分がこの世にいるからこそ、事故に合い死ぬかもしれないと瞬間的に感じたり、病状が悪化してきて死期が近いと感じたりすることができる。 しかし自分が生まれてくるであろうという予感はない。それを感ずる自分が存在していないのだから当然である。 私達は、縄文時代でもなく江戸時代でもない、21世紀に生きている。それは偶然か必然なのか、天の仕業にほかならない。 明治八年十一月に、東京は深川の材木商の二男として生まれた、長谷川如是閑(にょぜかん)は著書「ある心の自叙伝」で胎児時代を書いている。 「私の居処がだんだん狭くなって、育って行く私には、もう堪え切れなくなった。私の身体を円く圧迫している周囲のヌラヌラした壁は、もう私には不快な邪魔物になった。私は運動を求め出した。それにはもっと広い空間と、多量の空気とが必要だった。」 そんな風な書き出しである。 でその私は、全身の力をこめて私を圧迫している袋に反抗するつもりだが、それはただ自分の身体をヒクヒク動かし得たにすぎなかった。………私は苦しかった。刻 々にまして来る袋の圧迫は私を死物狂いにさせた。私は、もうこれ以上、袋のなかにはいられないと思った。 ……悪戦苦闘しているうちに、突然私は全身がフワリと圧迫から自由にされたように感じた。と同時に、今までにない、何か固いもので身体の一部を押さえられて、円くちぢこまっていた身体が引き伸ばされて、縦横無尽に振り廻されるので目まいがした。私は驚愕と憤怒と悲哀とで、全身をもがいてあばれた。その時、自分は始めて恐しい叫び声を出した。……… …ヌラヌラした壁のなかから出されて、刺すように冷めたい、荒々しい空気の中でふり廻されて、私はただ息のつづく限り喚(わめ)き叫ぶほかなかった。 ………自分ながら、何んであの温い、柔かい、袋のなかの生活を嫌って、こんな冷い、堅い、手荒い生活を選んだのかと後悔した。と自分の誕生を書く。 突然、私の裸の首にある口の中に何かが入れられた。…………私はそれを一生懸命に吸い込もうとしたが、無駄だった。しかしその努力をつづけているうちに、急にその先きから温い甘い汁が迸(ほとば)しって、私の舌と喉を潤(うる)おした。それは私の袋を出てからの始めての喜びだった。他の一切は、苦痛であり迷惑であったが、ただこの甘い汁だけが私を幸福にした。私は有頂天になって、それを吸った。 何時しか眠ってしまった私は、ふと目を覚ますと、その甘い汁が欲しくなって、泣き叫んでそれを求めた。私は袋の中にいた時分は、絶えず知らぬ間に欠乏が充たされていたのに、泣き叫ばなければ、それが得られないのに怒りを覚えて、烈しく泣き叫んだが、そうすると必ず柔い肉の小塊を口に含ませて、甘い汁を吸わしてくれたので、怒が欠乏を充たす道だということを知った。………と表わし、這い廻るさままでを書いている。 いつの時代に生れるのかも判らないように、小作人の子か地主の子としてか、はたまた大名の子として生れるのか。日本人としてかアメリカ人か、フランス人かイラクの人として誕生するのかは、生まれてみなければ判らない。ひょっとすると、天がサイコロを振って決めたのかもしれない。 大名の子は、家督を継がなければならない宿命を背負う。将来殿と呼ばれる人となるために、これをしなさい。こうあるべきだ。それをしてはならない。と制約された生活の中で、家臣にかしずかれながらも。解放された時を得たとき、育ち盛りの子供の喜びは、格別なものであるにちがいない。 小作人の子は、その境遇から抜けだすこともままならず、大名の子とはちがう苦しみもあり、悲しみもあるが、貧しさの中でも、花を摘み、トンボを追いかけ、魚を捕えて、野を山を遊び廻り愉しく過ごす。 小作人の子は、大名の子の生活は判らないから、その中で得た遊ぶ喜びもどんなものなのか判らない。大名の子は、小作人の子のように自由に遊ぶ喜びは知らない。それぞれに愉しいと思う質は違うけれども、それを喜ぶ度合は、大差ないのであろうと思われる。 子や孫が、たくましく伸び伸びと成長してゆく姿をみて、日頃の生活の疲れも癒され、明日に希望を抱き励むことができるのだ。幼な児の仕草に笑い、思わぬ子供の行為に驚き喜ぶことができ、嬉しく思う心は、生きて行く喜びなのだ。 この喜びの心は、時代を問わず洋の東西をも問わずに、人類共通の感性である。人間らしく生きてゆくための糧として天が与えてくれたものである。 忙中閑あり、苦中楽あり、死中に活あり、壺中に天あり、意中に人あり、腹中に書あり、これを称して「六中観」という。これはこの世に生れたことを感謝し、死ぬまでの限られた人生を、有意義に過ごすために、おろそかにしてはならないことである。 即ち、忙しい時にこそ得たわずかな休息が大切であり、苦しいからこそ楽しみを見いだす心を失ってはならない。窮地にあっても活路はあるはずだから、早まって両手をあげるなネバーギブアップ。壺中の天というのは、己の中に他人に煩わされない独自の世界や時間を持つこと。仕事以外の趣味もこれに入るであろう。くだらない連中や、避けることのできない人間関係に惑わされぬ、指標とする人を、意中に抱くことに意味がある。又、普段何を読んでいるかも大切なことで、片寄らない広い分野の本を読み、己の資質を磨くことの喜びを知る人の人生は豊かである。 |
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