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「人工膝関節置換術」 膝の痛みをこらえて歩いている姿を見て、息子がステッキを買ってきてくれた。 早速使ってみたが、肘に炎症があり痛い、手首も体重がかかると痛い。左手に持ち替えても肘、手首が同じように痛むから使うことができない。 残念である。せっかくの好意も無になってしまった。 ベッドから降りて立とうとしたら、右膝に外側の筋が息ができないくらい猛烈に痛む。 右足に体重をかけられない。 トイレにも行けない。 松葉杖だ。一週間ほど。 後で医師に聞いたが原因不明。 右膝の痛みが増してきた。 ゴリゴリ音もする。 いままで出来ていた、階段の上りが辛くなってきた。 そしてレントゲンを撮る。 素人が見ても、あきらかに膝の軟骨がなくなり、骨と骨とが直接触れているのが確認できた。 痛いはずだ。想像もしていなかったことで驚いてしまった。 言葉を呑んでしまう。 これは8月の中頃の事。 10月に入ると、歩くとき左の足首が痛むことがある。 手首や肘の炎症のしみるような痛さとは違って、関節に力がかからなければ痛くないのだが、歩くときチカッ!チカッと痛むのだ。 アレッ? 風呂場で身体を拭いていたら音がした。小便をしている時も音がする。共に狭い室だから音が増幅されるのか、わずかな体重の移動や足首の角度が変ると音がする。 コリコリ。ゴリゴリ! 潤滑油が切れたようだ。 10月も末になると、足首が痛む回数が多くなってきた。 これはヤバイぞ。 このままゆくと両足とも痛くなって歩けなくなるかもしれない。 松葉杖では用をなさない。 車椅子か? 動作をすれば手首は痛いし、肘も痛くて力が入らない。右膝も常より痛い。左足首も同じように痛むので、家の中で四苦八苦する。 痛み止めの座薬を入れて、謹慎するはめになってしまった。 濫觴通信の新年号の準備をしなければならないのだが、気持ちが定まらず、構想もなにも浮んでこないのだ。それらしきものの気配が顔を出すのだが、途切れてしまう。気分転換に、目についた俳句の本を手にする。 我骨のふとんにさはる 霜夜哉 (蕪村) 糸瓜咲いて 痰のつまりし仏かな (子規) 綿虫やそこは 屍の出てゆく門 (波郷) 水枕バガリと 寒い海がある (三鬼) このほか病中句は数多くあり、読めば読むほど驚嘆の度合が増すばかりである。痛みを伴う病苦の中で俳句をものにするすごさは、まさに超人といっても過言ではない方々である。出来るかどうかは別にして、真似事だけでもしてみようと思ったが、俳句のはの字も湧いてはこない。我ながら情けない一日になってしまった。 日が経つにつれて、リウマチの炎症もあってか、左足首の痛みが強くなってきた気がする。 まいったなあ! ないとかしなくちゃ。 なんとしても車椅子の生活は避けなければならない。家の中をバリアフリーなどに改造することは無理だから。 とりあえず右膝を人工関節にして右足だけでも確保しよう。 左足がだめになっても、松葉杖があればそれなりに暮らせるであろう。車もオートマチックなら右足一本で運転できるから、あちこち出掛けることもできる。 決めた! 12月の始め、医師に年が明けたら人工関節の手術を受けたいと告げた。 医師は、6月に腕を骨折した孫の志門(ゆきと)の治療を担当してくれた、成田記念病院の清水先生である。 二、三話を交わしただけで、平成17年1月31日に手術をしましょうということになった。 手術については、検査などいろいろな手順を経てからのことと思っていたから、新幹線の座席を予約するように、いとも簡単にあっけなく決まってしまったことで、手術を受ける思いが軽くなった。 12月14日かみさんと息子を交えて、施術された人のレントゲン写真を見ながら手術の説明を聞く。術中術後のリスク。ブレドニン服用者は服用していない人よりも、血栓によるエコノミー症候群の可能性が高いとか、最悪の場合、感染により人工関節を取りはずすこともあるという。それは何%かのことであろうが、他人事ではなく自分自身のことだから、少々気が重くなる。 手術承諾書にサインする。 家に帰ってから、医療ミスの記事、テレビニュースが思い出されてしかたがない。 寒鴉麻酔のままに 逝くことも (一樹) 年が明けて14日・21日の二日に分けて、手術時に1リットルほどの出血が予想されるから、それを補充する為に自分の血液を約800cc採血、保存する。 採血は20分程で終るが、後の点滴が1時間少々。日常とは違う場所、環境だから、句が出てくると思ったが、句心が全然湧いてこないのだ。このたったの1時間を持てあましているようでは、術後、半坪ほどのベッドの上と病室という限られた空間で、6週間近くも過ごさなければならない長い時間が思いやられてしまうのだ。 1月29日入院手続きをして病室に入る。パジャマに着替えてみたものの何もすることがない。 私が入って5人の病室だ。 回りを見渡したが、何の変哲もない普通の病室である。絵でも懸かっていればいいのだが、禁煙という赤い文字が目に写る。 冬の窓 仮の住いぞ外科病棟 (一樹) 入院についての各種プリントがくる。手術から検査、処置、リハビリと退院までの概略予定表。清潔実施予定表があり、毎日蒸しタオルでの体拭き、周に一回の足洗いと洗髪。一週間分の献立表もあってAかBのいずれかを選ぶことが出来る。大サービスだ。 1月30日手術前日。 麻酔科医師より全身麻酔の説明を受け、麻酔同意にサインする。 手術に際しての手順や準備するもののプリントがあり、寝巻とT字帯、バスタオル、タオルなど準備せよとのこと。寝巻はかみさん手作りの特別寝巻(ヒモでなくマジックテープで止める)を用意してあるが、T字帯なるものが何なのかわからない。今日は一階の売店が休みなので、手術当時の朝に買うことにする。 午後、入浴して下さいという。まさか病院でお風呂に入るとは思ってもみなかったことだ。午後9時以後の飲食が禁止される。 1月31日手術当日。 11時頃点滴をはじめる。 12時30分迎えの看護士が来る。パジャマから手術着に着替えて、朝買っておいたT字帯を着用。なんのことはないT字帯とは越中ふんどしのことだった。T字帯とはうまく言ったものだと感心する。 先導の看護士の後に、点滴のスタンドポールを持った私。そして見送りのかみさんと息子夫婦と一列になって、手術室まで歩いて行く。その行列は、バンザイ、バンザイの連呼こそないが、赤紙で召集されて戦場に赴いてゆく出征兵士のようである。 広い手術室の中央に、落ちてしまいそうな幅の狭い手術台が無影燈の下に鎮座している。待機していた麻酔医が、脊椎硬膜外腔(脊髄を保護している硬膜の外腔)の場所に、針を刺しカテーテルを挿入する。これは麻酔薬を注入して脊髄神経を麻痺させると同時に、術後の鎮痛のために薬剤を注入する用にもする。 胸に心電図などのための、センサーが取るつけられる。そのうち医師が話を交わしているなと思ったら、ストンと意識が消えてしまった。あとは知らない。 寒の灯や まさに俎手術台 (一樹) 麻酔が醒め病室に帰っていたものの、待っていた家族の顔も朧の中で記憶がはっきりしない。すべて朧の中でぼんやりしていた。 病室句 雪積る朝であったと見舞客 饒舌な見舞帰るや浅き春 カタコトのお見舞きたよ梅の花 丑満の病院廊下寒戻る |
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