大人になる
オイ、コラ! こっちを向け!!! 寄ってたかって「歌え、歌え!」と言い、歌わないと仲間ではないとばかりに強いながら、歌っている私を見ることもなく隣と話をしている。 馬鹿馬鹿しくなって歌うのを止めようとしたが、大人気ないことかと我慢して終わりまで歌った。拍手するときくらいはこちらを向くかと思いきや、手だけをこちらに向けて拍手する。 冗談じゃないよ。 馬鹿にするんじゃない!! このようなことは私に限ったことではない。誰が歌っていてもこんな有様だから、出された料理もうまいとは感じられない。何時からカラオケをしなくては宴会でなくなったのか、人のことなど気にも留めない心の貧しい人達である。 昭和三十年代の宴会はアカペラであった。歌っているときに誰一人として知らん顔はしていない。歌に合わせて手拍子をして、一人二人と加わって合唱となる。だんだん盛り上がってくると、茶碗を叩き蛮声はりあげ一体となって、軍歌やデカンショ節を歌うというよりがなっていた。それで余りあるエネルギーを何分の一かを発散すると同時に、うっぷんのガスを抜いていた。 同じ宴会でも、人のことを気にもかけず馬鹿にしていることにも気付かない、ストレスが溜まるばかりのカラオケ宴会と違って、一体化して大騒ぎする宴会の馬鹿馬鹿しさはほめられたものではないが、人と人との息が合い心の通い合う人間の集いであるという温かさがあった。 宴たけなわになってくると、男の集まりの常でY談が始まり、春歌の大合唱となってしまう。 その春歌をここに書きたいが、それを書くと多くの女性の顰蹙をかい、叱られてしまうおそれがある歌詞だから省略します。それを歌っている当人たちは淫らな気持ちはさらさらなく、共に歌うことが楽しくて、明るく健康的でむしろ真面目であったといってもよい。 座布団を折って女陰とし、空いたビール瓶を男根として股間にぶらさげ、歌って踊る芸達者な奴が居て、一同大爆笑の馬鹿騒ぎとなるのである。 昨今は同席の全員が揃って大騒ぎする宴会もすくなくなって、今の若者は露骨な歌詞の春歌は知らないであろう。だから後世に(大袈裟か)歌い継がれることなく消えてしまう歌かと思われるが、庶民のささやかな文化の一つとして保存してもらいたいと思うのは、懐かしいものが時代と共に失われてゆくことへの惜別の思いが濃くなってきた、老人のセンチメンタルかもしれない。 私の青年期は、同級の友よりも二十歳も年上の大人との交わりの方が多かった。当時の喫茶店は、商店の旦那衆はここ、音楽系はここ、美術系はここというように溜まり場的な色合いが濃かった。デザインをしていたこともあって、文士や絵描きが集まる喫茶店に通った。そこで生意気なことを言うから、叱られもしたし諫められたり、恥をかいたり悔しい思いも経験した。それは知らず知らずのうちに大人になるためのぶつかり稽古をしていたことだった。 それとは別にどんな経緯であったのか、何故だったのか思い出すことができないが、生意気なだけの私を、お座敷遊びに呼び出したり、昼間から芸者の置屋に連れていってくれた不思議な先輩がいた。お金が要るわけでもないし、面白いし興味のあることだから、声がかかるたびにつていった。 そこでは、からかわれたり悪戯されたりされながら、キツネ拳などいろいろしたが、もう忘れてしまった。ただ一つだけではあるが、酒の飲めない私に「酒は飲めなくても芸の一つもできないと恥をかく」と年増のお姐さんが教えてくれた数え歌を、今でもしっかり覚えている。披露する機会もなく宝の持ち腐れとなってしまったが、日本の四季の行事を織り込んだ盃と箸を使ったお座敷芸である。 小道具は
一つとやああ〜〜 一つは一月のことなれど・・ことなれど 門松なんぞは どでごんす〜〜 どでごんす
二つとやああ〜〜 二つは二月のことなれど・・ことなれど 絵馬札なんぞは どでごんす〜〜 どでごんす 三つとやああ〜〜 三つは三月のことなれど・・ことなれど 雛さまなんぞは どでごんす〜〜 どでごんす 四つとやああ〜〜 四つは四月のことなれど・・ことなれど 釈迦さんなんぞは どでごんす〜〜 どでごんす 五つとやああ〜〜 五つは五月のことなれど・・ことなれど お幟なんぞは どでごんす〜〜 どでごんす 六つとやああ〜〜 六つは六月のことなれど・・ことなれど お神輿なんぞは どでごんす〜〜 どでごんす 七つとやああ〜〜 七つは七月のことなれど・・ことなれど 七夕なんぞは どでごんす〜〜 どでごんす 八つとやああ〜〜 八つは八月のことなれど・・ことなれど お月見なんぞは どでごんす〜〜 どでごんす 九つとやああ〜〜 九つは九月のことなれど・・ことなれど お菊見なんぞは どでごんす〜〜 どでごんす 十とやああ〜〜 十は十月のことなれど・・ことなれど 顔見世なんぞは どでごんす〜〜 どでごんす 十一とやああ〜〜 十一は十一月のことなれど・・ことなれど 恵比寿講なんぞは どでごんす〜〜 どでごんす 十二とやああ〜〜 十二は十二月のことなれど・・ことなれど 餅つきなんぞは どでごんす〜〜 どでごんす 月と月との間を、季節に合わせた小唄や都々逸で色をつける。 「入れてもらえば 気持ちがいいが ほんに気兼ねのもらい風呂」 「お前に見せよと 結うたる髪を 夜中にみだすもまたお前」などなど 三味線の音色が、芝居の声色が、私の知らない芝居の所作事をして遊んでいる。座ったままで舞う姿の艶やかなこと。宴会とは別の成熟した大人の世界である。粋で艶っぽい世界があることを教えようとした先輩は、数年後に亡くなってしまって、部屋の片隅でかしこまってその世界を垣間見ただけの経験であった。 いま携帯小説が話題となっている、経験豊富な大人が、それを土台にして書いた文章でなく、若い同世代が書いたものに、癒されたり感動したりして読まれている。それはそれとして良いのだが、それで大人になってゆくのかと思うと物足りなさを感じてしまう。 魅力的な大人が少なくなってきたのかもしれないが、同世代の中に安住せず積極的に大人の世界に接して、内面の成長のために背伸びをしてほしいと思うのは、年寄りの時代錯誤か。 法的成人の年齢を十八歳まで下げようと議論されている今日。成人に相応しい精神年齢と教養を身につけてほしいと願うのは私だけであろうか。
2008年4月