濫觴・一樹
徒然なるままに…
濫觴通信
2009年2月
59号
発行:市橋一樹
濫觴通信TOP
【濫觴通信2009年2月 59号】

無から生まれた一字

 1990年1月、火山が爆発したように突然たまらなく「書」をかきたくなった。
 いくら探しても和紙がない。ひょっとしたらとトイレットペーパーに「いろは歌」をかいたのが私の「書」の始めである。
 以来、師に教えを請うとか手本を書いてもらうとかせず、心に響いた言葉とか詩を、上手下手を問題とせず自分が納得するかどうかを基準として書いてきた。
 店名にした「濫觴」の文字がそれで、店名にしたとき右書きでは読みにくいかと思って左から書いてみたが、濫觴の言葉に出合ったときの感激がないうえ雑念があって、納得できる文字は書いても書いても書けない。仕方がないからそのまま使うことにした。というようなことを繰り返しているうちに、自分なりの書に対する考えや取り組み方がかたまってきた。
 長年書いている人が「書」の基本は臨書だ。臨書しなければと言われると、そうかもしれないと思うかたわらで、絵画が色や形で、音楽が音符で美しさとか感動など心に受けたことを表現しているように「書」も同じように言葉や詩に触発されて、心が書かずにはいられないように沸き立ち、その感動をあらわすように書くことが基本であると思っていた。とはいえ、独学であり我流であるから三割程度の不確かな気持ちを持っていて、私の思う基本とはこうであると言い切る自信がない。
 四、五年経ってから古本屋でみつけて本棚に立てたままだった中川一政著「八十八」のなかに、私がしてきたこと考えていたことが間違いでなかったことを立証してくれた文を見つけた。
 そのお陰で自信を持って書くことができるようになったので紹介する。

      「書をまず裸にせよ」

 字を習うというのには手本がある。
 師匠とか顔真卿とか虞世南とか北碑とかいろいろある。
 しかし、ここから間違いが起こる。
 出発点を間違えると反対の方へ行ってしまう。

 これら手本は書である。
 書というものは「字」が着物をきているものである。
 着物をいくら習ったって仕様がない。仕様がなことはないかもしれないが仕様がない。

 まず着物をぬがせ裸にしてみることだ。まず「字」にしてみることだ。
 菊五郎は踊りを教えるのに裸になって教えたということだ。

 書を裸にすると活字みたいなことになる。
 今、新聞雑誌に使われている活字は、先人がいろいろ工夫した末に出来た「字」である。
 これが一番使いよい、見よい字なのである。
 そして形とか空間とか、一字ずつよく考えられている。
 まずこの字を手本にして習字することだ。
 まずこの活字を見て触発されるものをかくことだ。
 会津さんは新聞紙に横線をかかせ、縦線をかかせることから教えたというが、その方が「書」を教えるよりよいのである。

 「字」をまずしっかり見ること、しっかり書くこと。「字」がしっかり書けて来ると、そこにおのずから着物が出来るのである。それが自分の着物である。
 そして遂良や虞世南がどんな着物をきているか見まわすようになって、学書が楽しくなってくる。

      「書も写生なり」

 富岡鉄斎は読書の中で画題を得たという。人はこれを胸中山水と云った。
 たとえば蘇東の赤壁の文章を読んでいる。読んでいるうち状景が頭に浮かんで、それを描かずにいられなくなる。

 書もそうであろう。
 たとえば項羽が戦に敗れ追われてゆく。そして四面楚歌のあたりを考え、また読んだりする。頭に状景が浮かぶ。その状景がもとになって書が出来、おのずから書体が出来て来る。切迫し緊張した時には、そういう勢いが書体をつくる。

 世間では書体というものがあると思っている。仮名をかく人は仮名ばかりかいている。漢字をを書く人は漢字ばかりかいている。
 それが書だと思っている。
 そこには書の形はあっても書はないのだ。
 頭に浮かぶ状景を写生するのが書であって、浮かぶ状景がないのに書はかけないのだ。所詮習字というものがそれである。
 書もまた写生であると思わなければならない。
 たとえば漢詩をかくときと万葉集をかくとき自ずから硬軟がある。
 イメージに支配されるのだ。
 その硬軟、緩急が自ずから筆を正すのである。
 万葉集を読む。大伴家持は酒に酔っぱらって、来世は鳥になっても虫になってもかまわないと云っている。
 憶良は家で女房子供が待っている。早く帰りたいと云っている。
 その心の状況を写生するのである。その抽象を形にあらわす、それが書である。

 昔は手紙をかいた。何か云いたいこと、たのみたいことを手紙にかいた。これは実用の書である。こうして原稿をかいている。これも実用の書である。
 昔から実用の書で立派な書が出来ている。小野道風の絶筆や太閤の手紙や、それらはやむにやまれぬ必要にせまられてかいている。

 私のここで云っている書は実用ではない。
 事にのぞみ物にふれて浮かんでくる状況を写生しているのである。
 役者が役を演じているのと似ている。
 憶良なら憶良になってかき、李白なら李白になってかくのである。

  するがの海磯辺に生ふるはまつづらいましをたのみ母にたがひぬ
 のような歌をかくとき乙女心をのべようとするのである。切迫した感情をかこうと思うのである。
 そこで私は書も写生であるというのである。
 昔から書画同事だと云っている。書と画とが違った形で出て来るけれども、写生がもとである点では同事である。

 以上、私が考えていたこと、してきたことの方向が間違っていないことを立証してくれた、中川一政の文である。私が師もなく我流で書がかけることに、不思議なことと思っていたがこの文に出合って得心がいったのである。
 私は看板屋として三十年以上活字体をかいてきた。ブティックはおしゃれな感じに、建設業は信頼できるどっしりとした感じにと、同じ明朝体でも書く内容に合わせて書くことを意識して書いてきたし、また書き分けて書いてもきた。それが知らず知らずのうちに書の土台作りに役立っていたことを中川一政の文によって知り、師につくこともなく独学でやってゆける自信が湧いてきた。
 書く内容によって書き分けることの大切さに気がついたことには訳がある。
 「貴女のおしゃれはセンスのよい当店で」という看板を見た。
 それは百人が百人とも、きたならしく見苦しいという色や文字で「当店はセンスがわるいうえ、おしゃれは出来ません」と言っているような看板であった。その看板が反面教師となって、看板の表現と内容が一致することの大切さを痛感したからである。

 濫觴のロゴとしている文字は「濫觴」という言葉を始めて知ったとき、これは私のために先人が作っておいてくれた言葉だと感激してうれしくなった気持ちのまま書いた。それから何枚も書いたが、だんだん感激が薄れてゆくから一番最初の文字以上のものはかけなかった。
 「節風沐雨」も同じ墨場辞典の中で見つけ、抑えることのできない書きたい気持ちのまま書いた。
 いずれも書きたいという気持ちだけで雑念はなにもなかった。
 それから本を読んだり、詩や辞書から触発された文字を書いてきた。
 しかし気持ちがあっても書けないときはなんとしても書けない。雑念があるからだ。
 雑念が消えるまで書くしかないから書いてきたが、納得できるまで書き続けることが当然なことと思っていたから、そのことを苦痛と感じたことはない。

 私は日記を書かないかわりに、気の付いたこと考えたことを、自分を確認する意味で覚え書きとして残している

 世間の分別が、創るとき邪魔をする。
 世間の分別を越えた無分別がものを創る。
 創ったものには魅力がある。
 創ったものには感心するが、
 創った人を、変わった人だと差別する。
 身体から無分別を追い出すと、差別はされない。
 無分別を追い出すと、魅力も一緒に出てゆく。
 兎角この世はままならぬ。

 と、1995年1月に書いた。
 この無分別を書としてかいたが納得できる文字がかけないのだ。
 なぜだ! これでもか! これでもか! と一年かかっても書けない。
 ある時、気がついた。
 筆でかくことが分別だ。
 書き損なった紙を丸めてかいたら書けてしまった。
 無分別な文字だった。
 うれしかった。
 その気持ちのまま筆でかいたら、
 納得できる字がかけた。

 気持ちが爆発してトイレットペーパーに書く以前から、文字の始まりである甲骨文、金文に強い興味を持って調べていた。絵を描いて文字が始まった。その形(絵文字)をかいてきた。形だけをかいていて物足りなくなってきた。よく見るとその字形(線)に肉がつき皮膚に覆われた形のイメージが浮かんできた。
そうだ。字形を使って絵を書こう。
 「文字絵」なのだ。
 それが私のテーマとなった。
 還暦のとき、六十頭の牛の字をかいた。
 いい出来だった。
 十二支之図をかいた。
 納得できる字がかけた。
 山の字形で山を描いたら、
 大きな山の文字絵ができた。
 嬉しくなった。

 平成二十一年の賀状の牛を書こう。
 六巡目の牛なのだ。
 書けない。 書こうと思えば思うほど書けない。
 書いても書いても気に入らない。
 ふと横を見ると牛の字の中に「丑」の字があった。
 いつ書いたのか覚えがない。
 しかし、いい字だ。
 賀状に使ったのがそれである。

 何時になったら
 揺るぎない心で、
 悠々と淡々と、書くことができるのか。
 思いも、意気込みもなく
 自分が在るような、無いような
 天国で遊ぶ心地で書けたら最高だ。

 と、1995年9月に書いていたことが実現したのだ。
 思いがけない出来事だ。
 「丑」の字の中には、意気込みも思いをこめた意識もなかったから私は居ない。だけど私の手が書いたことは絶対である。
 これぞ「無から生まれた一字」である。
 天が私の手を動かしたのだ。
 一生に一度しかない出来事だ。

 その感動にひたっていたら、唐突にスパークした。
 天国(極楽)は、美も醜も善も悪も喜びも悲しみも何も無い所だ。
 逝ったと思う自分すら居ない所だと感じてしまった。
 天国で遊ぶ心地(無意識)で書けたからなのか。
 なぜこんなことを思ったのか分からない。

 一休が著したといわれる「一休骸骨」に次の文がある。

 身は死ねとも
 たましひはしなぬは
 大なるあやまりなり
 悟る人のこと葉には
 身もたねも一つにしぬるというなり

 今回は、訳の分からない不思議な力に突き動かされて書いた。
 省くところが無かったから特別号となってしまった。

                         2009年2月